九州山地の米良地方へ

10月の半ば、海を渡って訪ねたのは宮崎県の山間部。1000メートル級の山々は急峻で、カーブを曲がるたびに切り立つような山肌が現れる。熊野とは似て非なる険しさ。

川筋をたどって銀鏡(しろみ)、西米良(にしめら)と集落を巡る。
このあたりは焼き畑や、狩猟で生きてきた山の民の居住地。12月の祭の日、各集落では夜が明けるまで神楽を舞い続ける。その時、祭壇には「オニエ」と呼ばれるイノシシの頭が供えられるそうだ。想像すると、まるで山中の異郷のようで、平地人の私は戦慄する。

最初に話を伺ったのは、銀鏡神楽を継承されている古老と、西米良神楽を継承されている古老。子どもの頃の「神楽ならい」、狩猟の話、カリコボーズの話など、それぞれ長時間にわたって語ってくださった。ちなみにカリコボーズとは、「ほいほい」と言いながら山の尾根を行き来している妖怪というか、山の神の使いである。

『熊野那智大社米良文書』という史料によると、銀鏡神社の別当を務めていた豪族は鈴木氏を名乗っており、熊野から来たと記されているそうだ。熊野の鈴木氏と言えば、熊野三山と関わりが深い。「米良の神楽は、熊野修験の影響を強く受けているんですよ」と教えてもらって驚いた。山の信仰文化は、列島の峰々や海を越えて確かにつながっているのだな。

下の写真は西米良村の中心部、村所(むらしょ)の集落。川沿いの小さな盆地に学校や役場、商店などが集まっている。

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こちらは昭和14年頃に撮影された村所の集落。まだ茅葺き屋根が目立つ。
ちなみに西米良村は民話の宝庫で、「まんが日本昔ばなし」でも紹介された「龍の渕」の里だ。

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古老が自分で彫ったという見事な面を見せてもらった。(神楽では面を被って舞う演目もあり、「お面さま」と敬われて神格化されていたりする)
面の裏には、彫りあげた年月日に続き「米良山住人 ●● 作」と名が記されていて、ぐっときた。
山の民だけが持つことを許される、山への帰属意識。

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古老の家を後にして、村のメインストリートにある理髪店を覗く。こちらの店主が神楽の笛を製作しているそうで、面も彫る。鏡の横には無造作に笛の束が立てられて、壁にはいくつもの面。西米良の人々にとって、神楽がいかに身近なものかよくわかる。…にしても、異文化だ。

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そうそう、もうひとつ面白い話があった。

宮崎に炭焼きの技術を伝えたのは紀州の職人たちで、それが日向備長炭の始まりであると言われている。そのことは資料で読んで知ってはいたが、西米良村でこんな話を聞いたのだ。

「昭和の始め頃ですかね。紀州から渡ってきた炭焼きさんたちが、わたしたちは毎日、茶がゆを食べますって言って、その作り方を教えなさった」

90歳前後の老夫婦はそう話すと、茶がゆの作り方を細かく話してくれた。
紀州のソウルフード、茶がゆについて米良山住人に学ぶ。

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当時の炭焼きさんたちは、山から木を伐り出して運ぶ時、必ず「落とすぞーい」と声をかけたという。「山の神が寝とることもあるからね」と古老は言った。

帰路、一ツ瀬ダムの近くでキツツキらしき声を録る。ダム湖の底には集落が眠っているそうだ。

〈 みちとおと日本   文•写真/北浦雅子 〉

「みちとおと(道と音)」とは熊野古道•中辺路を取材して、私たちが制作したウェブサイトのことです。「みちとおと日本」は、その続編。サウンドマップの縮尺を広域にすると、この記事の取材地に音のアイコンがあります。現地を探してクリックしてみてください。

 

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