熊野古道・藤白峠のエピソード

熊野聖域の入り口と言えば、ここ。和歌山県海南市の藤白神社である。熊野古道沿いにある九十九王子の中でも格式が高い王子社で、熊野詣での上皇たちも安全祈願に立ち寄っている。
1867年、境内にそびえるクスノキから名を授かったのは南方熊楠。「この名を受けしもの、病あるつど、件の楠神に平癒を祈る」と熊楠も記しているが、この巨木には子どもを守る「楠神さん」が宿っているのだ。

境内を通り抜けて、熊野古道へ。かつては宿場町だった集落から、峠にさしかかると右手に海が見えてくる。紀伊国屋文左衛門(きのくにや・ぶんざえもん)が江戸にミカンを運んだ港も、今や埋め立てられてタンクが並ぶ工業港。航行するタンカーのエンジン音を聞きながら歩く。

古道の脇には、可愛らしいお地蔵さんが一丁(約109メートル)ごとに現れる。距離を示し、道中の安全を守るために祀られたものだ。いくつかのお地蔵さんを通り過ぎて、ふと気がついたことがある。よく見ると、どのお地蔵さんのそばにも、小さな竹ぼうきが置かれているのだ。地元の方が掃除をされているのだろう。通っているのは、たぶん集落のお年寄り。「老人たちが亡くなったら、お地蔵さんはどうなるんやろ」と考えてしまった。今後は日本中の峠道で、多くのお地蔵さんが荒れ果てていくのだろうか。

この峠の見所は、筆捨松(ふですてまつ)と硯石(すずりいし)である。
筆捨松にまつわる伝説はこうだ。

平安時代、有名な絵師が熊野詣でに来て、ここで一人の子どもと出会う。絵師と子どもは互いに「自分のほうが絵がうまい」と言い張って、絵の描き比べをすることになる。絵師は松にウグイスを描き、子どもは松にカラスを描いた。どちらも上手に描けたようで、ウグイスとカラスは空に向かって飛び立った。そこで子どもが声をかけると、カラスは戻ってきて絵の中に納まった。しかし、絵師のウグイスはいくら呼んでも戻ってこない。絵師は「無念なり!」と叫んで筆を捨てました。と、いう話。

その子どもは熊野権現の化身で、絵師の慢心をいさめたのだとか。筆が根元に落ちたという松の木は、それ以来「筆捨松」と呼ばれている。

この出来すぎた伝説は、熊野信仰を広めようとの意図が見えすぎて私はあまり好みではないが、ちょっと面白いなと思うのが「硯石」のエピソードだ。
紀州徳川家の初代藩主である徳川頼宣が、なぜか筆捨松の伝説に過剰反応した。頼宣は巨大な石を硯の形に彫らせ、筆捨松の根元に据えた。筆を捨てたと伝わる場所に巨大な硯(すずり)を置くなんて、なんていうか、酔狂な殿様やなと思う。駄洒落みたいな話で、工事を命じられた職人たちもお気の毒なことだ。その事件が起こった現場がこちら。がっちりと柵で囲われているのが硯石である。へんな話。

山道を登り切ると、舗装された農道に出てしまう。藤白峠は反対側の下津から車道が通じているので、車で上がってくることも可能なのだ。街道沿いには、かつて旅籠を営んでいたような民家もあり、「蟻の熊野詣で」の時代を彷彿とさせる。
山頂にある地蔵峯寺に参拝。本堂の前にお接待のミカンが箱で置かれていたので、一個もらって階段に座って食べた。うららかな紀州の春の日に。

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