高野町富貴 ② 松の薄板のこと

なんの前ぶれもなく立ち寄った我々を、快く迎えてくれたのは梶谷隆一さんと妻の静子さん。
梶谷木工所で製作していたのは、松の木を紙のように薄く削った板で「富貴の薄板」として知られる特産品だった。

山仕事が盛んだった富貴では、桧の廃材をカンナで削って紐(ひも)にする副業が伝統産業として受け継がれてきたが、松の木を削って薄板を作り始めたのは梶谷さんの父親が最初だったそうだ。

「昭和の25年頃に親父が苦労して、この土地で始めた。それが広まって最盛期は村に十数軒あったんやけど、薄板を作るのはもう、うち一軒だけになってしもた。桧の紐を作る人もほとんどないですね」
そう語る梶谷隆一さん。現在68歳で、富貴では若手である。

完成した薄板というものを見せてもらって「あっ」と思わず声が出た。
紅白まんじゅうの底に貼りついていた、あのペラペラのやつ?
昭和の頃は確か、こういうのが付いていた。サイズはもうちょっと小さいけれど。

隆一さんに尋ねると、「そうそう、まんじゅうの底にも付いてたやろ。この丸いのは茨城県の食品会社に出荷する分で、納豆の入れ物の底に敷くんです」と教えてくれた。一枚めくって手に取ると、向こうが透けて見えそうに薄くて、木目の風合いがくっきりと美しい。

下の写真は、舟納豆を包みこむ包装用の束。形や厚さは用途によって違うが、薄いものだと約0.15ミリ。
大きな原木からここまで削り、乾燥させて、束ねてゆく。

松は殺菌作用があり通気性に優れているため、食品の包装に古くから用いられてきた。だが近年、中国産の安価な薄板や、特殊加工の紙などに押されて需要が減っている。薄板を作る工房も、日本中に数軒しか残っていないそうだ。

「昔から富貴には、色が白くて軟らかい質のよい松の木が多かったんです。今は松茸を栽培するさけ山から松を伐り出せへんし、杉や桧の植林が増えて松が減ってるしね。原木を手に入れるのも難しくなってきた」

話を伺いながら、「かつては紀伊山地のあちこちに職人さんがいたのだろうな」と想像する。
薄板のことも初めて知ったけれど、色んな職人さんの手仕事が暮らしの中にあったのだ。

隆一さんは昨年、仕事中に木材の下敷きになり両足を骨折する大けがをした。
廃業も考えたが「他にやる人がないから続けてほしい」という顧客からの要望もあり、がんばって続けているという。

ちなみに今も、富貴の薄板と桧の紐を使って、酒まんじゅうを包装している和菓子屋さんが高野山にあるらしい。次に行ったら買わねば。

ふと思い立って、持っていた資料をお二人に見てもらった。
『高野・花園の民話』という本のコピー。昭和50年代後半、高野山内と周辺の集落を調査してまとめた本である。富貴の集落でも住民たちが昔の暮らしや民話について語り、そのインタビューがお名前や生まれ年とともに記録されている。

隆一さんはページをめくりながら「ああ、この人は死んだ」「この人も、この人も、もうおらんな」と繰り返す。
それはもちろん、そうだろう。当時、話者として協力したのは明治か大正生まれの方々だもの。
ところが途中で「あ、この人まだいてるわ」と、ぼそっとおっしゃる。「元気に百姓してはるで!」と静子さんも明るい声で相づちを打った。

「ほんとですかっ?」

我々もびっくりして資料を覗き込む。
富貴の妖怪について語った峯さんという方が、ご健在らしい。
まさかの展開。峯さんの連絡先を教えてもらい、慌ただしくお礼を言って再び集落へ。

 

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