カテゴリー別アーカイブ: 旅の記事

東京5

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ゲストハウスの朝ご飯。

三角おにぎりを指さして

「フジサン」と言ったのは

オーストラリアの人でした。

 

写真・清水いつ子  文・北浦雅子

 

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東京4

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宿の壁飾りは古い欄間

作ったのは美形の職人で

ちょっと神経質な江戸の男

 

写真・清水いつ子  文・北浦雅子

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東京3

tokyo5

 

「酒びたりの小説家がここで

愛人と暮らしていました」

という妄想に、

正座して酔いしれる。

 

写真・清水いつ子  文・北浦雅子

 

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東京2

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市ヶ谷のカフェにて

異国の豆料理にいやされる。

どこにいても、豆は気力の源です。

 

写真・清水いつ子  文・北浦雅子

 

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東京1

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御茶ノ水駅、ひじり橋から見下ろすと薄曇り

 

写真・清水いつ子  文・北浦雅子

 

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九州山地の米良地方へ

10月の半ば、海を渡って訪ねたのは宮崎県の山間部。1000メートル級の山々は急峻で、カーブを曲がるたびに切り立つような山肌が現れる。熊野とは似て非なる険しさ。

川筋をたどって銀鏡(しろみ)、西米良(にしめら)と集落を巡る。
このあたりは焼き畑や、狩猟で生きてきた山の民の居住地。12月の祭の日、各集落では夜が明けるまで神楽を舞い続ける。その時、祭壇には「オニエ」と呼ばれるイノシシの頭が供えられるそうだ。想像すると、まるで山中の異郷のようで、平地人の私は戦慄する。

最初に話を伺ったのは、銀鏡神楽を継承されている古老と、西米良神楽を継承されている古老。子どもの頃の「神楽ならい」、狩猟の話、カリコボーズの話など、それぞれ長時間にわたって語ってくださった。ちなみにカリコボーズとは、「ほいほい」と言いながら山の尾根を行き来している妖怪というか、山の神の使いである。

『熊野那智大社米良文書』という史料によると、銀鏡神社の別当を務めていた豪族は鈴木氏を名乗っており、熊野から来たと記されているそうだ。熊野の鈴木氏と言えば、熊野三山と関わりが深い。「米良の神楽は、熊野修験の影響を強く受けているんですよ」と教えてもらって驚いた。山の信仰文化は、列島の峰々や海を越えて確かにつながっているのだな。

下の写真は西米良村の中心部、村所(むらしょ)の集落。川沿いの小さな盆地に学校や役場、商店などが集まっている。

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こちらは昭和14年頃に撮影された村所の集落。まだ茅葺き屋根が目立つ。
ちなみに西米良村は民話の宝庫で、「まんが日本昔ばなし」でも紹介された「龍の渕」の里だ。

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古老が自分で彫ったという見事な面を見せてもらった。(神楽では面を被って舞う演目もあり、「お面さま」と敬われて神格化されていたりする)
面の裏には、彫りあげた年月日に続き「米良山住人 ●● 作」と名が記されていて、ぐっときた。
山の民だけが持つことを許される、山への帰属意識。

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古老の家を後にして、村のメインストリートにある理髪店を覗く。こちらの店主が神楽の笛を製作しているそうで、面も彫る。鏡の横には無造作に笛の束が立てられて、壁にはいくつもの面。西米良の人々にとって、神楽がいかに身近なものかよくわかる。…にしても、異文化だ。

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そうそう、もうひとつ面白い話があった。

宮崎に炭焼きの技術を伝えたのは紀州の職人たちで、それが日向備長炭の始まりであると言われている。そのことは資料で読んで知ってはいたが、西米良村でこんな話を聞いたのだ。

「昭和の始め頃ですかね。紀州から渡ってきた炭焼きさんたちが、わたしたちは毎日、茶がゆを食べますって言って、その作り方を教えなさった」

90歳前後の老夫婦はそう話すと、茶がゆの作り方を細かく話してくれた。
紀州のソウルフード、茶がゆについて米良山住人に学ぶ。

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当時の炭焼きさんたちは、山から木を伐り出して運ぶ時、必ず「落とすぞーい」と声をかけたという。「山の神が寝とることもあるからね」と古老は言った。

帰路、一ツ瀬ダムの近くでキツツキらしき声を録る。ダム湖の底には集落が眠っているそうだ。

〈 みちとおと日本   文•写真/北浦雅子 〉

「みちとおと(道と音)」とは熊野古道•中辺路を取材して、私たちが制作したウェブサイトのことです。「みちとおと日本」は、その続編。サウンドマップの縮尺を広域にすると、この記事の取材地に音のアイコンがあります。現地を探してクリックしてみてください。

 

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九度山町の金時さん

和歌山県の北部、高野山の麓に広がる九度山(くどやま)町。紀ノ川沿いには弘法大師•空海の母が暮らした慈尊院があり、空海は月に九度、高野山から20キロの山道を下って母を訪ねてきた。それが地名の由来と語り継がれている。

また、九度山町には戦国時代の武将、真田幸村の屋敷跡に建てられた寺院、真田庵がある。小耳に挟んだ話では、2016年の大河ドラマの主人公が真田幸村に決まり、九度山町役場の3階から「真田丸 制作決定」の赤い幕が垂れ下がったとか。

しかし今回、私が九度山町を訪ねた理由はひとつ。世界遺産の慈尊院も、大河ドラマの真田庵もスルーして、目指すは米金(こめきん)の金時さん。川沿いの駐車場に車を置いて細い路地に入っていく。商店が並ぶ旧街道をしばらく歩くと、おられました。

金時さん

町家の軒先で、微妙なポーズの金時さん。大正の始め、九度山焼の作家、南紀荘平氏によって作られた陶像で、身長は約2メートル。南紀荘平さんは「天才肌の人」と町史に記されているが、写真に残るその風貌は、ロック魂あふれるアーティスト風だ。傲慢そうに壊れた感じが色っぽい。

(こちらでお顔が見られます)

荘平さんを主人公にしたドラマも作ってもらいたい。そう思いながら、付近をぶらっと歩くと電柱に真田幸村さん。

歴史街道

歴史街道

九度山町では大河ドラマの放映に備えて、インフラ整備も進めているようだ。無料の駐車場もあるし、以前に比べるとずいぶん散策しやすくなっていた。甲冑(かっちゅう)などの時代衣装で写真撮影する「コスプレ冬の陣」も開催されたそうで、チラシには「血のりOK!」と記されていた。

九度山の風景

小高い山の上から紀ノ川を望む。あたり一面は、みかんと柿の木。このまま川を遡って、大和(やまと)に行くのもよさそうだ。

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海のみち

10月19日、神戸港から宮崎行きのフェリーに乗った。
予約していたのは、雑魚寝スタイルの二等船室。
隅っこのマットレスと毛布をキープしてから、ひとまずデッキへ。

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〈神戸港〉


出港を告げるアナウンスが響く中、全長170メートルの巨大な船はゆるゆると海に滑り出していく。目の前に広がるのは、色とりどりに煌めく神戸の夜景。はしゃいでいた子どもや若者たちが去ったあと、いつまでも見とれていたのは男性の乗客ばかりだ。
肌寒い風にあおられて、何を思って佇むか。ろまんちっくなのか。

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お腹がすいたのでレストランに行く。そこそこ美味しいバイキングの夕食をすませて、展望風呂とやら(何も見えなかった)に入浴。再びデッキに立ったのは、夜の8時半頃だった。
船内の案内画面によると、船は紀淡海峡を抜けて紀伊水道を進んでいるところだ。ちなみに、神戸から宮崎までは約500キロである。

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漆黒の海の向こうに、ぽつぽつと灯りが見えた。おそらく四国、もしかしたら淡路島。紀伊半島の方向にもかすかな灯りが見えたが、写真には撮れなかった。残念。

〈紀伊水道〉

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船室で仕事の資料を読んでいる時、ふと顔をあげたらおばあさんと目があってしまった。「こんばんは」と挨拶して言葉を交わすうちに、宮崎は故郷だと教えてくれた。80歳だと言うが、美人で若々しい。老人と話すのは好きなので愛想よくしていたら、女手ひとつで二人の息子を育てあげたという怒濤の苦労話に突入してしまった。「あんたのお母さんは夜の蝶やで」と、幼い息子に言った近所の意地悪女のことが今でも腹立たしい、と顔をしかめて繰り返す。
「いますよねぇ、そういう人」と相づちを打つ。
自分がされたことなら忘れても、子どもを傷つけられた悔しさは50年たっても忘れないのだろう。

なんだか長丁場になりそうだったので、売店で柿の種と缶ビールを仕込んで戻ると、彼女はごろんと横になってたくましい寝息をたてていた。さすがにお年寄りは寝るのが早い。

翌朝、照明がつく前からガサガサと派手な音を立てながらナイロン袋をまさぐって、おばあさんが身繕いを始めた。やっぱりか…。
ちょっとムカついたが、早起きしたおかげで日向灘(ひゅうがなだ)の朝日を見ることができた。音も録ったけれど、紀伊水道と同じかもしれん。

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〈日向灘〉

朝の8時過ぎ、宮崎港が見えてきた。
この旅の目的は、神楽(かぐら)の伝統を守り伝える方々に話を伺って記事に書くこと。
ご縁を頂いたことに感謝しつつ、古代から続く黒潮のみちを通って九州いり。

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〈 みちとおと日本      文•写真/北浦雅子 〉

「みちとおと(道と音)」とは熊野古道•中辺路を取材して、私たちが制作したウェブサイトのことです。「みちとおと日本」は、その続編。サウンドマップの縮尺を広域にすると、この記事の取材地に音のアイコンがあります。現地を探してクリックしてみてください。

 

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台風一過の紀伊半島

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和歌山県みなべ町の千里の浜は、アカウミガメの産卵地として知られる景勝地。
熊野古道は唯一ここだけ、砂浜を歩く。国道から少し離れているので、車で旅をしたらたぶん気付かない。

砂浜から千里観音の山門に続くゆったりした坂道も舞台セットみたい。ある種の人はこういう風景に出会うと、ふと、物語を創作してみたくなるのだと思う。千里の浜にも小栗判官にまつわる突飛な物語があるのだよ。

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さて、今年もお盆。熊野では集落のあちこちで、準備が始まっていることだろう。”みちとおと”の取材で、汗だくで盆踊りを巡ったのは去年のことだ。
「古老たちはお元気だろうか」とぼんやりと思いつつ、今年は行けない。
「今年も賑わいますように」とか、「いつまでも続きますように」とか、勝手なことを時々願っているだけで地域に深くは関わらない。無責任な異人の立場なのだけれども、そういう者の役割もあると思うしかない。

数日前、台風が過ぎ去った夜に大塚まさじさんのライブに行った。
大塚さんは被害が大きかった四国のまちを心配しておられた。ご縁のある土地らしい。
「日本中あちこち仕事でまわっていると、災害の時に心配になる場所や人が、どんどん増えていくんですよね」と曲の合間にぼそっと。

私も近頃、台風が来ると熊野地方が気になる。
熊野川の水位をインターネットで注視していたら、うちの横の水路があふれてあわや床上浸水。

 

 文・写真 北浦雅子

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紀州の漁業基地、辰ヶ浜

「今日は漁に出てますっ!」

辰ヶ浜(たつがはま)の漁師、橋中宣章さんがそう言って電話をくださったのは朝の9時頃だった。
港に戻るのは夕方の4時半くらいになるとのこと。「はいっ。ではよろしくお願いします!」と答えて、午後から辰ヶ浜へ。

和歌山県有田市の辰ヶ浜は古くから漁業で賑わうまちで、太刀魚(タチウオ)の漁獲量日本一を誇る。ずっと気になっていた集落なのだが、このたびご縁があって漁師さんを紹介してもらうことができた。
取材の前に橋中さんと電話で話をさせてもらった時、「漁に出たら海から電話します」と言ってくださったので楽しみに待っていたのだ。

辰ヶ浜の漁船

港に到着すると、黄色い漁船が次々と戻ってくるところだった。船着き場では漁師の奥さんたちがリヤカーを準備して待っている。
船が着くとテキパキと魚を積み込み、セリ場へと向かっていく奥さんたち。その動きは敏速かつパワフルだ。

辰ヶ浜の様子

辰ヶ浜の様子

市場の一角で行われているセリも見学。

4時半にはまだ時間があったので、港近くの西村物産に「太刀魚の浜焼き」を買いに行くことにする。

西村物産(和歌山県有田市)

太刀魚の浜焼きは「和歌山の三大うまいもん土産」のひとつだと知人に聞いた。確かにうまいし、折りたたまれて串に刺さった太刀魚はインパクトあり。
店頭には太刀魚天や太刀魚の姿揚げなど、珍しいものがいろいろ並び、しかも安い。産地ならではの味と値段に感動しながら、ひとり港で食す。ちなみに浜焼きは、5本入りにポン酢が付いて300円の値打ちもんだ。

太刀魚の浜焼き

そうこうしているうちに橋中さんの船も戻ってきた。まずはごあいさつ。58歳とのことだが若々しい。
「今朝の電話は、どのへんからかけてくださったんですか?」と尋ねると「日の岬と四国のあいだよ」。ぼそっと話す口調が漁師さんらしくてかっこいい。
夜明け前の3時頃に船を出したそうなので、海上で過ごすこと約14時間。
「そらもう、なんべんも危ない目におうたことあるよ。シケの時やら、外国船のコンテナと行き会うた時やら。網を入れてたら、とっさに動けやんから、恐ろしいよ」と話してくれた。

「辰ヶ浜の太刀魚はどこに出荷されるんでしょうか」
「今は韓国やな」
下関までトラックで運ばれて、そこから船で韓国へ行くのだと聞いてびっくり。

その日、船には19歳の息子さんも初めて同乗したそうだ。「いっぺん試しに体験させたんやけど、息子も船には酔わなんだ。飯も二回しっかり食ってた。今は油も高いし、漁業も大変やがやっぱり後を継いでほしいわなぁ」と橋中さん。
ご自身も親の代から漁師だそうで、仕事に誇りを持っておられるのだな、と思う。

辰ヶ浜の漁師

「ご飯は何を食べたんですか?」と、いいところだったのに、うっかり話を変えてしまった。
「イカの刺身と、イトヨリの煮付け。船で飯だけ炊いて、最初の網でとれた魚をおかずにするんや」
「おいしそう」
「きつい仕事やけど、魚だけはうまいもん食えるわな」

そろそろ日も傾きだして、潮風もひんやりしてきた。
「これ持って帰ってよ」
にっこりして手渡してくださったのは、とれたてぴちぴちの魚。実はこっそり期待していたので、恥ずかしながら嬉しかったです。

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