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九度山町の金時さん

和歌山県の北部、高野山の麓に広がる九度山(くどやま)町。紀ノ川沿いには弘法大師•空海の母が暮らした慈尊院があり、空海は月に九度、高野山から20キロの山道を下って母を訪ねてきた。それが地名の由来と語り継がれている。

また、九度山町には戦国時代の武将、真田幸村の屋敷跡に建てられた寺院、真田庵がある。小耳に挟んだ話では、2016年の大河ドラマの主人公が真田幸村に決まり、九度山町役場の3階から「真田丸 制作決定」の赤い幕が垂れ下がったとか。

しかし今回、私が九度山町を訪ねた理由はひとつ。世界遺産の慈尊院も、大河ドラマの真田庵もスルーして、目指すは米金(こめきん)の金時さん。川沿いの駐車場に車を置いて細い路地に入っていく。商店が並ぶ旧街道をしばらく歩くと、おられました。

金時さん

町家の軒先で、微妙なポーズの金時さん。大正の始め、九度山焼の作家、南紀荘平氏によって作られた陶像で、身長は約2メートル。南紀荘平さんは「天才肌の人」と町史に記されているが、写真に残るその風貌は、ロック魂あふれるアーティスト風だ。傲慢そうに壊れた感じが色っぽい。

(こちらでお顔が見られます)

荘平さんを主人公にしたドラマも作ってもらいたい。そう思いながら、付近をぶらっと歩くと電柱に真田幸村さん。

歴史街道

歴史街道

九度山町では大河ドラマの放映に備えて、インフラ整備も進めているようだ。無料の駐車場もあるし、以前に比べるとずいぶん散策しやすくなっていた。甲冑(かっちゅう)などの時代衣装で写真撮影する「コスプレ冬の陣」も開催されたそうで、チラシには「血のりOK!」と記されていた。

九度山の風景

小高い山の上から紀ノ川を望む。あたり一面は、みかんと柿の木。このまま川を遡って、大和(やまと)に行くのもよさそうだ。

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紀州の漁業基地、辰ヶ浜

「今日は漁に出てますっ!」

辰ヶ浜(たつがはま)の漁師、橋中宣章さんがそう言って電話をくださったのは朝の9時頃だった。
港に戻るのは夕方の4時半くらいになるとのこと。「はいっ。ではよろしくお願いします!」と答えて、午後から辰ヶ浜へ。

和歌山県有田市の辰ヶ浜は古くから漁業で賑わうまちで、太刀魚(タチウオ)の漁獲量日本一を誇る。ずっと気になっていた集落なのだが、このたびご縁があって漁師さんを紹介してもらうことができた。
取材の前に橋中さんと電話で話をさせてもらった時、「漁に出たら海から電話します」と言ってくださったので楽しみに待っていたのだ。

辰ヶ浜の漁船

港に到着すると、黄色い漁船が次々と戻ってくるところだった。船着き場では漁師の奥さんたちがリヤカーを準備して待っている。
船が着くとテキパキと魚を積み込み、セリ場へと向かっていく奥さんたち。その動きは敏速かつパワフルだ。

辰ヶ浜の様子

辰ヶ浜の様子

市場の一角で行われているセリも見学。

4時半にはまだ時間があったので、港近くの西村物産に「太刀魚の浜焼き」を買いに行くことにする。

西村物産(和歌山県有田市)

太刀魚の浜焼きは「和歌山の三大うまいもん土産」のひとつだと知人に聞いた。確かにうまいし、折りたたまれて串に刺さった太刀魚はインパクトあり。
店頭には太刀魚天や太刀魚の姿揚げなど、珍しいものがいろいろ並び、しかも安い。産地ならではの味と値段に感動しながら、ひとり港で食す。ちなみに浜焼きは、5本入りにポン酢が付いて300円の値打ちもんだ。

太刀魚の浜焼き

そうこうしているうちに橋中さんの船も戻ってきた。まずはごあいさつ。58歳とのことだが若々しい。
「今朝の電話は、どのへんからかけてくださったんですか?」と尋ねると「日の岬と四国のあいだよ」。ぼそっと話す口調が漁師さんらしくてかっこいい。
夜明け前の3時頃に船を出したそうなので、海上で過ごすこと約14時間。
「そらもう、なんべんも危ない目におうたことあるよ。シケの時やら、外国船のコンテナと行き会うた時やら。網を入れてたら、とっさに動けやんから、恐ろしいよ」と話してくれた。

「辰ヶ浜の太刀魚はどこに出荷されるんでしょうか」
「今は韓国やな」
下関までトラックで運ばれて、そこから船で韓国へ行くのだと聞いてびっくり。

その日、船には19歳の息子さんも初めて同乗したそうだ。「いっぺん試しに体験させたんやけど、息子も船には酔わなんだ。飯も二回しっかり食ってた。今は油も高いし、漁業も大変やがやっぱり後を継いでほしいわなぁ」と橋中さん。
ご自身も親の代から漁師だそうで、仕事に誇りを持っておられるのだな、と思う。

辰ヶ浜の漁師

「ご飯は何を食べたんですか?」と、いいところだったのに、うっかり話を変えてしまった。
「イカの刺身と、イトヨリの煮付け。船で飯だけ炊いて、最初の網でとれた魚をおかずにするんや」
「おいしそう」
「きつい仕事やけど、魚だけはうまいもん食えるわな」

そろそろ日も傾きだして、潮風もひんやりしてきた。
「これ持って帰ってよ」
にっこりして手渡してくださったのは、とれたてぴちぴちの魚。実はこっそり期待していたので、恥ずかしながら嬉しかったです。

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熊野古道・紀伊路のちょっと怖い話

熊野古道と言えば世界遺産に登録された中辺路などが有名だが、意外とおすすめなのが紀伊路。大阪から和歌山へ入り、海南、湯浅、御坊を経て田辺市に至るまでの古道だ。今回歩いてみたのは、広川町と日高町を結ぶ山越えルートの鹿ヶ瀬峠(ししがせとうげ)。

鹿ヶ瀬峠(ししがせとうげ)

全長503メートルの石畳は熊野古道に現存する石畳の中では最長のもので、周辺の木々も美しい。紀伊路には自然林も多く残っているので、あちこちから鳥のさえずりが聴こえるし、ちらちら降り注ぐ木もれ日も心地よい。

見るからに老いた巨木の根元に、小さな馬頭観音が祀られていた。傍らの案内板によると「馬の供養の墓として建てられています」とのこと。鹿ヶ瀬峠はたいへん険しい難所で、馬が越えるのも厳しかった。峠の下には「馬留王子(うまどめおうじ)」の跡があり、馬たちの休息場所だったという。

法華壇(ほっけだん)

1時間ほど歩いてようやく山頂。ぽっかり開けた空間には、かつて「とら屋」「玉屋」など数軒の旅籠(はたご)が並んでいたと聞く。少し下ると法華壇(ほっけだん)と呼ばれる供養塔があった。ここは養源寺の飛地境内で、実はちょっと怖い伝説が残る聖地だ。

昔、熊野を目指して歩いてきた僧、壱叡(いちえい)がこの場所で野宿をしていたら、深夜に経を読む声がどこからともなく聴こえてきた。びっくりしてあたりを見回しても誰もいない。そこにあったのは、赤い舌を震わせながら経を唱えるドクロだった。

ドクロの主は円善という名の僧侶。「私は生涯に法華経六万部を読む誓いを立てながら、この峠で果てた円善と申します。心願が成就するまで経を読み続けておりますが、間もなく終わることでしょう」と言った。

1年後、壱叡は再び鹿ヶ瀬峠を通りかかった。円善のドクロはすでになく、夜になっても読経は聞こえない。
「とうとう六万部を読み終えて、浄土へと旅立たれたのだな」  
深く胸を打たれた壱叡は、円善の亡骸があった木の下に台地を築いて供養塔を立てた。

円善の供養塔

その後、法華壇のそばには庵が結ばれ、養源寺のルーツとなった。現在、養源寺は広川町の海辺に移ったが、今でも円善上人の命日には檀家さんたちも一緒に山を登って法要を執り行っている。山頂にあった旅籠の子孫にあたる方々が、世話役を担っているそうだ。

法華壇には円善上人の名を刻んだ真新しい卒塔婆が立てられ、色鮮やかな花が活き活きと供えられていた。伝説と現実が溶けあって、トロトロに熟成されている話。

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アメリカ村「移民たちの故郷を歩く」

前回の記事を書いてから、何度かアメリカ村に足を運んでいる。いったい何をしに行っているのか自分でもよくわからないのだが、あえて言うなら妄想のため。迷路のような細い路地を歩いていると、時空の隙間に入り込んでいくようで心地よい。

集落の中は、いつもひっそりと静まり返っている。左右には廃屋も目につくし、雑草の生えた空き地に井戸だけがポツンと残っていたりする。数ヶ月前にあった古い家も、あっという間に取り壊されて更地になっていた。建物が消える時、物語をひとつ失ったような気がする。

岬の先端に向かうと、雑木林に囲まれた神社がある。龍王神社という名で、社殿の前には奇妙な形で息づくアコウの巨木。アジア東部に分布する亜熱帯植物で、和歌山県より北には自生していない。黒潮の流れに乗って、種子が運ばれてきたのだろうか。生々しく絡む枝を見上げていると、キジムナーのような精霊が座っている気がした。

龍王神社 アコウの巨木

拝殿に掲げられた寄進札には、円に混じって弗(ドル)の文字やバンクーバー、ウィニペグなどの地名も記されていた。カナダに移住した氏子たちからの寄進である。かつて、カナダに向かう人々はここで神に祈り、親きょうだいと水杯(みずさかずき)を交わしてから海を渡っていったそうだ。

龍王神社の寄進札

移民たちを乗せた船は神戸港を出発し、ひとまず横浜港へと向かう。その時、ここから沖を眺めて家族や縁者が見送り、船からは汽笛を鳴らして応えたという。
境内から見下ろすと荒々しい海。断崖にあたってくだける波の音、渦巻くように吹きつける風の音に包み込まれる。他ではなかなか体感できない音なので、海の荒れた日に訪ねると妄想にも拍車がかかっておすすめだ。

知る人は少ないが、実は神社の下には大きな洞窟が広がっている。資料によると入り口の幅は5メートル、高さ9メートル、奥行き26メートル。「三穂の石室(みほのいわや)」と言われ、地元の人でもあまり訪れることがないため太古のままの姿で残る。 
私が行った日はちょうど嵐で、洞窟の中まで激しく高波が押し寄せていた。這うようにして崖をのぼり、上から覗き見たのだがかなりの迫力。ちなみに古代人もこの洞窟に思うところがあったようで、流暢に和歌など詠み残している。万葉集に記録されているとか。

アメリカ村の洞窟

移民にも古代人にも興味がないのに、うっかりここまで読んでしまった方に耳寄りなお知らせがある。最近、アメリカ村にも古民家カフェができたのだ。ちらっとかいま見たランチは色とりどりで豪華だった。何もかも手作りだと聞いたので、「このランチ、800円でもとがとれるんですか」と下世話なことを尋ねたら「食べてくれる人がいる限り、手は抜けません」と店主が答えた。特に力むでもなく、さらっと。
私はクルミとアーモンドの自家製パンをいただいたが、噛むほどに良い味だった。店の場所はちょっとわかりにくいのだが、本気で探せば行き着く。

道草屋カフェの情報はこちら「道草屋」

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