ウェブサイト「みちとおと・熊野古道中辺路」の運営を始めてから4年がたちました。
その流れから今年、道音舎という名の出版レーベルを立ち上げました。
道音舎から出版する最初の本は、和歌山県在住の写真家・照井壮平氏の写真集です。
タイトルは「狼煙」。のろし、と読みます。
リンク先の特設ページで、写真の一部を文章とともに順次公開していきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
「狼煙」のページはこちらです。
ウェブサイト「みちとおと・熊野古道中辺路」の運営を始めてから4年がたちました。
その流れから今年、道音舎という名の出版レーベルを立ち上げました。
道音舎から出版する最初の本は、和歌山県在住の写真家・照井壮平氏の写真集です。
タイトルは「狼煙」。のろし、と読みます。
リンク先の特設ページで、写真の一部を文章とともに順次公開していきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
「狼煙」のページはこちらです。
交通新聞社から刊行されている『旅の手帖』で奈良県十津川村の記事を担当させていただきました。
なんと、表紙にちらっと私が出ています。(でも誰も知らない)
今さらですが、最近の仕事です。
「旅行読売」2017年2月号の特集”1万円の極上宿”で三重県の渡鹿野島を書きました。なんて興味深いんだ渡鹿野島!古くから風待ちの港だったんですね。特産の的矢牡蠣、とろんとして美味でした。
「紀州浪漫」は今回はちょこっと「ぶらり旅」のみ。
WACA-P2017年1・2月号は俳人の堀本裕樹さん、ゴルフ写真家の宮本卓さん、能楽師の小林慶三さんにインタビュー。また2016年11・12月号では大佛師の松本明慶さんにインタビューさせてもらいました。プロフェッショナルな方々の話を聞くと、いろいろ勉強になってありがたいです。
『旅の手帖』11月号で取材させてもらったのは、越前禅定道の起点に広がる白山平泉寺旧境内(福井県)です。(雑誌が出たのは先月なので、書店にはもうありません)
白山平泉寺は、奈良時代の僧・泰澄(たいちょう)によって開かれたとされる白山信仰の拠点寺院。平安時代の終わり頃に比叡山延暦寺の末寺となり、戦国時代には寺領9万石の巨大な宗教都市として栄えました。しかし天正2年(1574)に一向一揆の襲撃により全山焼失。その後、秀吉によって再興が図られましたが往時の隆盛を取り戻せず、明治の神仏分離令で寺号を廃して白山神社と改めたのです。
そんなドラマティックな歴史を持つ寺院跡は今、平泉寺白山神社を中心に約200haが国史跡に指定され、遺跡の発掘調査が進められています。発掘・復元された石畳の道も見どころのひとつで、僧兵たちが九頭竜川の石を運んで造ったと伝わるそうですよ。
境内にはたっぷりとぶあつい苔が一面に・・・。
かの司馬遼太郎さんも「冬ぶとんを敷き詰めたよう」と『街道をゆく』に記していますが、さすがにうまいこと言うなあと感心しました。ビロードより冬ぶとんでしょうね、ここは。
三角形の屋根が乗ったような鳥居は、山王鳥居と言われ、神仏習合をあらわしているそうです。
夕暮れ時の境内が、深緑色につやつや光っていました。
真夏でも山頂に雪をたたえ、豊かな水をもたらす美しい白山。その山容に女神の姿を重ねた古代人の心性が白山信仰の起源と言われます。
境内の森には、神秘的な気配を漂わせている泉がありました。千三百年前、白山の女神はこの泉から出現し、「はやく山頂に登っていらっしゃい」と泰澄に告げたとか。女神が導いてくれたおかげで泰澄は、霊峰・白山に初登頂を果たすことができたそうです。
この時、泰澄が開いたという登山道が越前禅定道と呼ばれ、境内の最奥部から始まります。山頂へと続く山岳修行の登山道は他に、石川県側から登る加賀禅定道、岐阜県側から登る美濃禅定道があり、3本を白山古道と呼ぶそうです。
実は今回、編集者さんや写真家さんたちと越前禅定道を途中まで登ったんです。あまりにハードで標高約777mの三頭山山頂で折り返しましたけど。
覚悟はしていましたが、これがもう、かなり険しい悪路。モンベルの登山靴もない時代に、多くの山岳修行僧が歩いた道だと思うと感慨深いものがありました。
途中でへたったとは言え、2週間かけて筋力トレーニングをして挑んだ取材なのでちょっと忘れがたいです。
(ライター・北浦雅子)
ライターの北浦です。私はこれまで主に旅雑誌などに取材記事を書いてきましたが、最近はインタビューの仕事をいただく機会が増えてきました。インタビューの中でも、お話しを伺って語り口調の文章を作成する手法は「聞き書き」といわれます。(私はこの手法が大好きです)雑誌などに掲載するためではなく、一般の方々がプライベートで使うための聞き書きをさせてもらいたい。ずっとそう思っているのですが、「どう使うのか」の提案が足りていなかったと反省しています。そこで以下のメニューを考えました。
💗 カップル・インタビュー
ご夫婦、親子、恋人などで互いに言葉にできなかった想いや、個人の歴史を聞き書きします。
恥ずかしくて直接は言えない・・・。でも本当は感謝しているし、「ごめんね」と言っておきたいこともある。そんな二人におすすめなのが「カップル・インタビュー」です。
お一人ずつ日時を決めて別々にインタビューをし、それぞれのお話を聞き書きして原稿を作成いたします。確認をお願いした上で、手直しがあれば修正して原稿をお渡しします。(お渡しした原稿はどのように使っていただいてもかまいません)
思い出の写真などを入れて冊子や本にすることも可能です。ご家族やカップルの素敵な記念になりますし、感謝や理解の気持ちが深まります。(関係が改善されるかもしれませんよ!)
《こんな方におすすめ》
・銀婚式や金婚式など結婚生活の節目に。カップルの記念日に。
・親子や夫婦で「直接言いにくい」ことのある方に。(誰しもあると思いますが・・)
・退職、還暦など人生の「振り返り」の機会に。
・子どもから親へのプレゼントとして。
💗 エンディング・インタビュー
終活のひとつとして、伝えておきたい想いなどを聞き書きします。
子どもや孫に伝えておくべきことがあるけど、自分で書くのは面倒だし自信がない・・・。
そんな方に「エンディング・インタビュー」をおすすめします。長年抱えていた想いを文章にまとめると、すっきりした気持ちになるとの感想をいただいております。家系図や個人の年表、写真を入れて冊子や本にすることも可能です。お茶でも飲みながら、リラックスして話してください。
《こんな方におすすめ》
・自分らしいエンディングノートを作りたい。
・家族への愛情を伝えておきたい。
・治療や葬儀などにリクエストがある。
・生きた証を残したい。
*いずれも、文章だけをお渡しする手頃なプランと、冊子や本にしてお渡しするプランがございます。
*インタビュー は60分 8,000円 + テキスト作成 400字 5000円(交通費・消費税別)が基本の料金です。冊子にする場合は、デザインと印刷代、編集費がかかります。ご希望があれば写真撮影も承ります。
文字数が多くなる場合は割引もありますので、お気軽にお問い合わせください。
ココラボ出版の新たなレーベルを「道音舎」と名付けました。
「みちおとしゃ」と読みます。
「みちとおと 熊野古道・中辺路」ともリンクさせながら、本づくりをしていきたいと考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
北浦雅子
「私が子どもの頃はね、ここが世界中でいちばんの山奥やと思ってました」
しみじみ話してくれたのは、奈良県の天川村、洞川(どろがわ)温泉で500年続くという旅館の大将。
夏の初めに洞川村まで行ったのは、雑誌の特集「暑さを忘れる名水の里」に掲載する記事を書くためだった。私が担当したのは奥吉野の”ごろごろ水”だ。
自称・山村ライターとしては、こういうところに飛ばされるのがたいへん嬉しい。
見よ、この景観。しかもここは、そんじょそこらの山村ではない。
大峯山は1300年前、役行者によって開かれたと伝わる霊峰で、今も山伏姿の修験者たちが訪れる山岳信仰の登山基地。修験者をもてなしてきた洞川の人々は、役行者に仕えていた鬼の子孫であるという。「ここが世界中で一番の山奥やと思ってた」と話してくれた宿の大将も、鬼の末裔の一人というわけだ。
集落の標高は約850メートル。ここから紀伊山地の峰々を越えて、熊野に至る険しい山道が”大峯奥駆け道”である。
大峯山への登山口には女人結界門があり、女性の入山を今も禁じている。”女人結界”と刻まれた門の文字が仰々しい。「男たちよ、そんなに力むな」とちょっと思う。
静岡から来たという尼僧たちが、結界門の前で熱心に法華経を唱えておられた。心地よく渋い声が森に響く。周囲が自然林なら、なお良かったのだけれど。
翌日、ごろごろ水が川となって流れ込む渓谷を散策した。山岳信仰を生んだ古代人の宇宙観には、水が深く関わっているというが、そういうことも山中を歩きながら考えるほうがわかりやすい。